ペット不可住宅に住んでいたときの話
今週のお題「わたしの部屋」
僕は今、アパートの1室に猫3匹と住んでいますが、以前住んでいたのは一戸建ての賃貸住宅でした。家賃8万円、ペット不可。駅から徒歩10分・・・ぐらいだったかな。
今となっては時効だと自分には言い聞かせつつ、これを書いていますが、今家にいる3匹の猫のうち、2匹は以前の家に住んでいたときに飼い始めた子たちです。
1匹と出会ったのは、僕が動物愛護センター職員として、そこそこの知識を得て、ある程度自分の裁量で仕事が出来るようになってきた頃でした。
毎年、春から夏にかけて、子猫が生まれるシーズンが到来します。当時、動物愛護センターにはものすごい数の子猫を収容していて、もうすぐ収容のキャパシティを超えてしまう、そんなときに1匹のサバシロ猫に出会いました。
動物愛護センターに収容されてしまうと、僕の家はペット不可ということで譲渡を受けることが出来ません。僕は、「庭で産まれていた」と子猫を持ち込んできた方に、この子を僕個人に直接もらえないかと交渉し、家で育てる決意をし、今に至ります。
ペット不可住宅でペット、しかも猫を飼うという横暴に出た僕でしたが、ついに引っ越しの日がやってきました。大家に追い出されたわけではありません。その他の理由があっての引っ越しでした。
管理会社の立ち会い日が近づき、僕は管理会社の方に、全て正直に話しました。壁は爪とぎの跡でズタズタでした。畳も当然傷んでいました。
管理会社の方は、「それは困りますねぇ」と渋い顔をし、「壁紙はどうにかなったとしても、臭い消しに莫大な費用がかかるでしょうね。」と付け加えました。
僕はその日、ホームセンターに走り、掃除道具を一式買い揃えました。そして家中をとにかく掃除しました。特に拭き掃除を徹底的にしました。
迎えた立ち会い当日。
管理会社の方は、部屋の隅々を見て回り、特に柱の爪傷を見て渋い顔をし、手元のノートにメモをしていきました。
全て見終わり、管理会社の方が大家に電話をかけました。
「〇〇です。立ち会い終わりました。契約を破って猫を飼育されていたそうですが、正直に言っていただきましたし、掃除も一生懸命にされたんだと私は誠意を感じました。どうされますか?・・・はい、わかりました。ではまた見積もり送らせていただきます。失礼します。」
ルールを破って猫を迎え入れてしまったことは、間違いありません。それでも僕は内心、どれぐらいの金額を請求されるのだろうとドキドキしていました。
管理会社「では、立ち会いは以上になります。鍵は本日お預かりしても大丈夫ですか?」
僕「はい。・・・あの、請求金額はどれぐらいになりそうですか?」
管理会社「0円です。動物臭もしませんし、大家さんにもご理解いただきました。」
事前に調べていたところ、壁紙については6年でその価値がゼロ円になるとのことでした。でも、僕が住んでいたのは6年に満たず、1割は僕が負担する計算でした。そして柱は取り換えるわけにいかないので、相当な額を覚悟していたのです。
困惑していると、管理会社の方が続けました。
「猫好きの大家さんで良かったですね」
引っ越してから数か月経っても、管理会社からの請求はありませんでした。大家さんが本当に猫好きだったのか、今となっては本当のところは分かりませんが、経済的に厳しかった僕にとってはすごくありがたかったです。
誠実に、正直に、伝えることの大切さを改めて教えていただいた、夏の出来事でした。今は、ペット飼育の許可をきちんと取って、アパートで暮らしています。
公務員がペット不可の住宅でペットを飼っていたという、あってはならない過去ですが、もう時効だろうということで書かせていただきました。
僕が言えることではないかも知れませんが、皆さん、ルールは必ず守ってペットを飼育しましょうね。
「動物愛護」英語で言えますか?
こんにちは。緊急事態宣言後、初の日曜日が終わりました。今日からまた一週間が始まります。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
今日のテーマは、「動物愛護」英語で言えますか?です。
「簡単簡単。animal welfare(アニマルウェルフェア)でしょ?」
って思った方、ありがとうございます。
日本では、動物愛護の英訳はanimal welfareであるとされています。でも、これ実は、正しいようで正しくないのです。
海外で言うanimal welfareと日本の動物愛護は少し違います。
animal welfareを正確に訳すと、動物福祉です。動物愛護ボランティアの一部の人はよく、「日本は動物愛護後進国だ!」と言います。ところが、動物福祉後進国だ!と言う人はほとんどいません。まぁ実際、法律も「動物の愛護及び管理に関する法律」ですからね。
日本の動物愛護推進派の方々の主たる主張は、「殺処分ゼロ」「とにかく殺すな」です。そこには、動物福祉のニュアンスはほとんど入っていません。
まず、動物福祉という言葉について。
動物福祉・・・動物が精神的・肉体的に十分健康で、幸福であり、環境とも調和していること(公益社団法人 日本動物福祉協会)
世界的には、「5つの自由」として基本的な考え方がまとめられています。
1.飢えと渇きからの自由
2.不快からの自由
3.痛み・傷害・病気からの自由
4.恐怖や抑圧からの自由
5.正常な行動を表現する自由
です。表記については、(公社)日本動物福祉協会にならっています。
「殺処分」について、詳しくはまた別の回で書きたいと思いますが、この殺処分の中には、動物福祉を守るためのものも含まれます。例えば、「痛み・傷害・病気からの自由」です。
例えば、交通事故に遭い、内臓が飛び出したような犬や猫が保健所(動物愛護センターや動物管理センター等を含む)に収容された場合、どうでしょうか。
動物病院を受診し、奇跡的に一命を取り留めたとしても何百万円もかかるような治療行為を行政が行えるか、もちろん答えはNOです。当然のことですが、行政は税金で運営されているからです。では、今にも死にそうで苦しそうにしているその子たちをどうしてあげるのか。
行政が「殺処分ゼロ」を無理矢理達成しようとすると、こういった子たちについては自分たちが手を下すことなく、自然に死んでくれるのを待つようになります。というのも、最近の環境省の分類では、収容中の病死等については、他の殺処分とは別に計上出来るんですね。
僕は在職中、「僕たちは動物福祉を重んじるべきだ」と主張し続けてきました。とにかく生かせばいい、殺処分しなければそれでいい、それは行政職員としては恥ずべき行為だと主張し続けてきました。結果的に、動物愛護団体の方々に受け入れられず、僕は退職に追い込まれたわけですが…。動物福祉を守るためには、時には安楽死という選択をするべき時もあるのです。
動物愛護というのは、命を大切にしようという考え方、つまり思想的な部分、動物福祉は一定の科学的根拠に基づいたものです。いつまでも「動物愛護」ばかり主張し続けていては、動物たちに対して人間のエゴの押し付けになりかねません。
科学的根拠に基づいて動物の福祉について考える、これは「動物を大切にしよう、殺処分反対」といういわゆる「動物愛護思想」の一歩前を行く考え方です。動物愛護と動物福祉、何となく違いについてはご理解いただけたでしょうか。
もちろん、動物愛護啓発が不要だと言っているわけではありません。
「本当に飼えますか?本当にその子が生涯を全うするまで面倒を見てやれますか?」
譲渡希望者に対して僕がいつもしてきた問いかけです。
ボランティアや動物愛護団体、そして動物行政も頑張っています。それでも、限界はあります。憎むべきは、無責任な飼い主や、無責任な餌やりです。蛇口を閉めないことには、いつまでたっても不幸な動物が減ることはありません。
不必要な殺処分がない世の中にするために、僕たちが出来ることは何か。
まずは、今飼っている動物をめいっぱい抱きしめてあげてください。この子たちを自分は生涯大切にするんだ、そう誓うことが、明るい未来への第一歩なのかなと僕は思います。
そして緊急事態宣言へ
こんにちは。
昨日、「緊急事態宣言出します宣言」がなされ、本日夕方、緊急事態宣言が出されます。
ここのところ、テレビをつければ新型コロナウイルス関連のニュースばかりですが、報道の仕方に色々と疑問があるんですよね。
まず、ルー大柴か?ってぐらい、横文字を使うあの感じ。
オーバーシュート、クラスター、ロックダウン・・・何じゃそれ?大学時代はノロウイルスやインフルエンザウイルスの研究に携わりましたが、オーバーシュートもクラスターも文献で見た記憶がありません。
オーバーシュート → 感染爆発
クラスター → 感染者集団 or 集団感染
ロックダウン → 都市封鎖
で、良くね?
お茶の間でテレビを観ているのは、すぐにググれる若者ばかりではないでしょうよ。。。
ただ、パンデミック(pandemic)だけは、きちんとした専門用語なんですよね。
これは感染症の世界的大流行を表す言葉で、英語文献でも普通に使われます。
多分、結構な数のウイルス学者や細菌学者が、「専門家会議でオーバーシュートとかクラスターとか言うた奴誰やねん」って思ってるはず。別に専門用語でも何でもないんだもん。
ここで突っ込みたいのが、「新型コロナウイルス」っていう呼び方。
WHOがせっかく「COVID-19」って命名したのに、これに関しては、いつまで経っても新型コロナウイルス。
もしも来年まで終息しなくても新型コロナウイルスって呼ぶんか!謎の日本語へのこだわり、僕みたいな凡人には全く理解出来ません。
で、世の中はPCRって言葉で溢れてますけど、そもそもPCRって皆さん理解してるの?って言いたくなりますけど、検査って遺伝子検査だけじゃないんですよ。。。僕はむしろ、自分がかかってるかどうかよりも、かかっていたかどうかを知りたいのです。これは抗体検査で明らかになります。抗体検査キットって、海外では普通に使われてるんですよ。ただ、この抗体検査、これで陽性となっても、「過去にかかったことがある」人と、「今かかってる人」を区別できないんですね。そうすると、今の日本でもしも実施すると、大パニックになるのです。でもね、実際COVID-19がどれぐらい蔓延しているのかを調べるという疫学的観点から考えると、非常に意義深いことだと思うんですが・・・。
どうなんでしょうか。
と、COVID-19についての独り言でした。
動物愛護センターを退職して約1週間
殺処分を減らしたい、幼少期に抱いたその思いを胸に大学に進み、気が付けば獣医師国家試験に合格していました。
そして、自分にとって縁もゆかりもない地で、公務員獣医師として働くことになりました。僕の最初の勤務先は保健所の食品部門。大学で食中毒関係の研究をしていた僕は、大学で学んだことが活かせると、燃えていました。しかしその半年後、動物愛護センターに異動となり、ついに「殺処分」に関わる職場で働くことになりました。
動物愛護センターは、しんどさとやりがいの両方を兼ね備えたような職場でした。そこで僕は存分に自分の色を出し、そして最後は動物愛護団体からの猛攻撃を受け、3月いっぱいをもって退職しました。
僕の出勤最終日、色々な思いにふけりながら仕事をしていると、ミニチュア・ダックスフンドを連れた男性が窓口にやってきました。過去、僕が里親探しに関わった犬と、里親になってくださった方でした。毎年必ず、ワンちゃんと一緒に元気な顔を見せてくれます。僕が退職をすることを告げると、「そうですか。。。年に1回の楽しみがなくなるなぁ。。。最後にお会い出来て良かった。。。」と、涙を流してくださいました。僕はその犬をなでながら、必死で涙をこらえました。
その後も、僕の退職を風の噂で聞いた人が会いに来てくれたり、電話をくれたりしました。里親さん、警察官、市役所の仲間、獣医師の先輩方。僕は、たくさんの仲間に支えられながら働いていたのだと痛感し、感謝の思いが溢れました。
そして17時30分になり、窓口のカーテンを閉めると同時に、僕の約5年間の動物愛護センターでの仕事は幕を閉じました。その瞬間、幼少期からの夢を叶え、動物愛護センター獣医師としての勤務し、今この瞬間をもってそれが終わるのだと、実感しました。
これを書いている僕の横には、仲良く身を寄せ合って寝ている猫たちがいます。動物愛護センター在職中に引き取った子たちです。彼らの寝顔を見ながら、忙しくも懸命に小さな命と向き合った日々を思い出します。
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多頭飼育崩壊②〜行政とボランティアそれぞれの立場〜
多頭飼育崩壊と言っても、もちろん最初は少数の動物から始まります。その少数の中でメスが子を産み、またその子が子を産み・・・といった具合で産まれに産まれ、結果、飼い主の生活は破綻します。不妊手術代の数万円をケチったがために、取り返しのつかない事態に陥ります。しかし飼い主によっては、「ケチった」のではなく、ホントに金がないねんっていうケースもあります。つまり、飼い主自身が経済的に困窮しているケース、例えば生活保護受給者等にとっては、数万円というのは決して簡単に捻出出来る金額ではないのです。・・・生活保護受給者が動物を飼育することについての是非については、ここでは触れません。
で、実際に多頭飼育崩壊と言われる事案には何件も遭遇してきましたが、やはり結構な割合で飼い主さんは生活保護を全額または部分的に受給されていました。
ここで僕が言いたいのは、「生活保護受給者は動物飼うな!」とか、「生活保護受給者=無責任な飼い主」ということではありません。
多頭飼育崩壊問題を考える上では、まず社会全体を見なければならないということです。経済的困窮だけではなく、飼い主の年齢や、心身の状態、社会との関わり方等、様々な要因が絡み合って、飼い主を多頭飼育崩壊へと追い詰めていきます。
多頭飼育崩壊が起こってしまうと、その解決はとんでもなく難しいです。ボランティアは手一杯、行政も手一杯。こうなってくると、殺処分も致し方がないという状況になってきます。ただ、僕が在籍中は、そうやって入ってきた多頭飼育崩壊の猫を、いわゆる「ガス室送り」にせずにすみました。収容した猫の譲渡先を必死で探してくれた一部のボランティアの方々のパワーの賜物です。
一度起こってしまうと、解決に途方もない労力を要する多頭飼育崩壊。これを未然に防止することは出来ないのか。僕たちは、生活保護関連の部署はもちろん、高齢者、福祉、様々な役所の部署に、危うい飼い主についての情報提供を呼びかけようと試みました。しかしここにも大きな障害があり、僕たちはまた頭を悩ませることになるのです。と、これはまた次のお話で。
多頭飼育崩壊①~行政とボランティアそれぞれの立場~
「多頭飼育崩壊」をご存じでしょうか?
飼育している動物の数が何らかの理由で爆発的に増えることにより、飼い主の生活破綻、周辺住民への悪臭被害、動物虐待等を引き起こしている状態のことを、一般に「多頭飼育崩壊」と呼びます。ただし、多頭飼育崩壊はさも固有名詞かのように使われますが、これは世の中のどちらさんかが作った造語なので、僕が動物愛護センターで勤務していた間は、「動物の多頭飼育による不適正飼養」なんて、まどろっこしい言い方をしていました。
爆発的に増えるって、どれぐらい飼ってるの?って話ですが、これはケースによりまちまちです。ワンルームで40匹なんてケースもザラですし、10匹程度でどえらいことになっている家もありました。
じゃあこれを解決していこうとしたときに、「このバカみたいな数をどうするのか」という問題に当然直面します。「基本的には」、何人もの動物愛護団体や個人ボランティアが猫を連れて帰り、それぞれが譲渡を頑張るという形で終わっていくのですが、ボランティアの方々にも当然キャパがあります。「私らこんなに頑張ってるやん、行政も手伝えや」って一部のボランティアは声をあげるわけです。
ここで当たり前の話ですが、行政は税金で運営されています。動物愛護センター職員は、動物を「愛護」、つまりただただ動物をヨシヨシして給料をもらっているわけではありません。
動物を世話するのにかかる費用っていうのは、なかなかのものです。そして当然収容の限界はあるし、収容の限界が来たら、殺処分せざるを得ない。なぜなら、動物愛護センターは税金で運営されているからです。動物嫌いな人からすると、「無責任なアホ飼い主が増やした動物を、役所が税金で飼育するってバカじゃないの?税金返せ!税金泥棒!」ってなるわけです。
このあたりで、じゃあ動物愛護センターの動物愛護って何やねん!っていうデカい声が一部のボランティアの方々から聞こえてきます。これは、動物愛護精神の普及啓発を行うという意味での動物愛護センターなのです。つまりは、「動物は愛情を持ってきっちり飼えよ!」っていうことを啓発する施設、という意味です。
つまり、動物行政と動物愛護ボランティアは、その根っこの部分から違うのです。そこに気付いていないのは、職員もボランティアも同じです。だから多くの場合、互いに罵りあうんですね(実際のところは公務員はおとなしくしてるから、ボランティアが大声出す構図)。
ボランティアさんは確かに無理難題を言ってくることが多いです。行政としてやってはいけないことって、たくさんあるんですよね。でもその中には、「やってもいいこと」も紛れてる。なのに、「ボランティアは行政の敵だ!」みたいな風潮が行政側で強くなってくると、「やってもいいこと」がどんどん見えなくなってくる。僕はこれが一番怖かった。だから、やってもいいことについては、上司に「やりましょう」って言ってみるんです。もちろん、馬鹿正直に「やりましょう」なんて言いません。「これやっておかないと、あとであの人ら何言ってくるかわからんっすよ」みたいな感じで交渉するのです。
ただ、残念なことに、外にはそう見えていなかったようで、最終的に、「職員Aがすべて糸を引いている」としてボランティア団体からうちのお偉いさん(市長と医務監っていう偉い人)に対して、要約すると「こいつのこと嫌いやから何とかしろ」って手紙を書かれ、僕は退職をすることになったのです。まあ、それはまた別の記事で。
と、話が脱線したところで、今日はここまで。多頭飼育崩壊をめぐる話は、いろんな背景をおさえておかないと、極端な思考に陥ってしまいがちなので。行政の立場とボランティアの立場について、触れさせていただきました。
野良猫問題の現状①
住宅密集地等において、しばしば問題になる野良猫問題。動物愛護センターで勤務していて最も多い苦情が、この野良猫にまつわるものである。
糞尿被害、爪とぎ被害、ノミ、発情期の鳴き声等。餌をやっている人間に指導してくれ、野良猫を駆除してくれ、春~夏ごろになると、毎日のようにこういう内容の苦情が来る。
この問題を解決するために全国的に取られている方法の一つが、TNR活動と呼ばれるものだ。Trap(=捕まえる)、Neuter(=不妊措置)、Release(=放す)の頭文字をそれぞれ取ったものである。簡単に説明すると、野良猫を捕獲機等で捕まえて、それらを動物病院に連れていき不妊手術を行い、また元にいた場所に放してやることで、これ以上野良猫が増えないようにしようという取り組みである。多くの自治体が、この活動に助成金を出し、支援している。ちなみに、僕が働く自治体でも助成金を出している。
この活動がなぜ全国的に広まっているのか、それを説明するためにはまず、「野良猫を駆除してしまえば早いんじゃないの?」という問いに答える必要がある。
結論から言うと、行政が野良猫を捕獲して駆除することは、法律で認められてもいないし、禁止されてもいない。犬については狂犬病予防法の中で、放浪している犬を捕まえることが明記されているが、猫については狂犬病予防法は適用されない。
と、ここでアンチ野良猫の方々からは、「禁止されていないなら捕まえて処分してよ」という声が出てくる。しかしそうもいかない。
例えば目の前にいる猫を、「100%野良猫だ」とするのは非常に難しい。外飼いされている猫かもしれないし、たまたま逃げ出してしまった猫かもしれない。餌をやっている人間がもし仮にいたとしたら、「自分が飼い主だ」と言い出すかもしれない。そうなると、行政職員が、法律で規定もされていないことをわざわざやって、一般人の財産を処分してしまったということになりかねないのだ。「なりかねない」としたのは、まだまだ裁判の判例が少なく、全てが曖昧だからである。・・・とまぁ、そんなわけで行政は積極的に野良猫を捕まえて処分するようなことはしないのである。そもそも世間の風潮として、捕まえて殺すなどということが簡単に許されるわけもなく。「駆除したらいいんじゃないの?」という問いに対する答えは、実はなかなかデリケートなのである。
で、「野良猫に困っている」という相談を受けた際、行政としては忌避剤等を紹介して、とにかく敷地から野良猫を追い出してもらうよう助言するのだ。しかしこれにも限界がある。そこで、TNR活動の登場である。今、目の前にいる野良猫に目を向けるのではなく、長い時間をかけて野良猫を減らしていこうという取り組みだ。ほとんどの猫好きの人間は、野良猫は不幸な存在だということを認識している。飼い猫は20年生きることも普通になってきた時代にあって、野良猫の寿命は5年程度と言われている。もちろん、10年以上生きる個体もいるが、活動について住民に説明する際には伏せている。「そんなに生きられたら困る」と紛糾するに決まっているからだ。
実際のところ、平均寿命5年というのは、割と的を射ている気もする。動物の愛護及び管理に関する法律では、公共の場所で負傷した動物は、行政が収容しなければならないことになっている。野良猫は基本、激しく攻撃してくるため触らせてくれないため、僕らが収容する個体というのは、そのほとんどが息も絶え絶え、瀕死の個体だ。歯の状態等から年齢を推測したときに、高齢の猫はあまり見かけない。つまり、多くは若くして亡くなると考えられる。また、生まれた子猫が全部すくすくと育てるほど、野良の世界は甘くない。そのほとんどはカラスやイタチの餌食となっていると考えるのが自然なのだ。
さて、このTNR活動。捕まえた、手術をした、放した。これでその猫が子を産むことはない。しかし、当然糞尿は今まで通りにする。オス猫については、いわゆるスプレー(マーキングのためにする臭いのきつい尿)は個体差はあるものの減ってくれるが、それでも糞尿はする。
これについての住民理解を得ることは非常に難しく、僕らはいつも頭を悩ませている。