僕は手術が出来ない獣医さん

動物行政、動物愛護、殺処分等について、動物愛護センター獣医師としての勤務経験を通して感じたことをつらつらと。あとはフォトグラファーとしての活動もつらつらと。

犬 犬 犬

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実家には5匹の犬がいる。

皆、繁殖場で「不要」となった犬たちだ。

令和元年6月、動物の愛護及び管理に関する法律が改正された。しかし所詮は議員立法、相変わらずの「ザル法」である。

「動物愛護」という言葉を日本人は使いたがる。しかし、生きとし生けるものに対して愛を持って接するなんて、初等教育の道徳で習うような、ごくごく普通のことだ。

僕らプロは、「動物福祉」をうたう。いや、うたうべきなのだ。

愛護とは人間視点、福祉とは動物目線に立つことだ。

苦痛からの解放のための殺処分。これは動物福祉の観点から行う、安楽死処分である。動物愛護を声高らかに叫ぶ人間たちは、これを悪だという。

動物愛護と動物福祉と殺処分。難しい問題だ。

帰省

どこか行くの?と不安げなうちの猫たち。すまん、お兄ちゃんは実家に帰るのだよ。

というわけで、車で2時間弱、滋賀の実家へ。久々の帰省だ。うちには猫が3匹いるが、帰省の間の世話は同居人の友人に託している。

この子たちは動物愛護センターで収容した子たちだ。サバシロがニコラ、キジトラがカーリー。もう1匹、黒白のフィガロがいる。ちゃんと留守番出来てるだろうか…。

そして実家には犬が5匹いる。どこに行っても動物だらけ。獣医冥利に尽きるというか、なんというか。

もうすぐ2019年が終わる。2020年はどんな1年になるのやら。

 

ちなみに、2匹の写真は愛機 NIKON D500での撮影です。可愛いでしょ。

 

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食品から動物へ

入庁して最初の半年は、食中毒とか飲食店の営業許可とか、そういう部署で「食品衛生監視員」として働いていた。大学時代は公衆衛生分野の研究室に配属されていたし、食中毒関連の知識については人並み以上にある自負があったため、いわゆる「自分の力を発揮できる職場だ」と張り切っていた。

公務員として働いたことのない方が「公務員」と聞いてイメージするのは、「杓子定規」とか「融通が利かない」とか、そういう感じなのかなと思う。そのイメージは、合ってもいるし間違ってもいる。

まず、公務員は大前提として、「公平なサービス」が求められる。特定の誰かを特別扱いは出来ないのだ。そういった意味では、杓子定規であると思う。

しかし、実際に公務員として働いている人間は、実は白でも黒でもないグレーばかりであることにすぐに気が付く。何もかもが多様になっている時代、それらを許容しようとする時代、白か黒かの線を引くことは非常に難しいのだ。そんな中で、「食品衛生監視員」という仕事は、公務員としては比較的、白か黒かの線を引きやすい部類に入るように思う。例えば、食品中の成分について、「基準値」があって、これを超えたら白も黒もなくアウトなのだ。

そんな食品衛生監視員として半年働いた後、僕は動物愛護センターに異動の辞令を受けることになる。うちの自治体の動物愛護センターといえば、膨大な事務量と多大なストレスで有名な職場だった。事務量、つまり忙しさについては何となく想像できるが、ストレスとは一体・・・。僕にとっては圧倒的な未知であった。というかそもそも、獣医師免許を持つ人間みんなが、動物の診察を出来るわけではない。法的にはしても良いことになっているが、大学の実習でちょっとかじった程度の僕に務まるのか、漠然とした不安が拭えぬまま、僕は動物愛護センターの職員となった。

以前の職場は、ものすごく法律を勉強する必要があった。頭に入れておかなければならない法令もたくさんあった。しかし、動物愛護センターが所管するメインの法律はたった二つ。「狂犬病予防法」と「動物の愛護及び管理に関する法律(以下、動物愛護管理法)」、これらだけである。狂犬病予防法を簡単に説明すると、犬は市町村に登録しなければならない、年に1回の狂犬病予防注射を受けなければならない、というものである。もちろん、鑑札着用の義務とか、自治体職員による抑留の話とか、そういうのはあるけれども。

厄介なのは動物愛護管理法。この法律の中では、「適正に」とか「努めなければならない」といった、ふんわりした言葉が連発されている。何をもって「適正」なのか、どの程度なら「努めている」と判断できるのか、明確にして欲しいところが曖昧なのだ。「法律」の一般的な構造上、細かい部分については施行規則とか色々なところに落ちていくものなのだが、何を調べても曖昧なのだ。

動物愛護センターの業務の多くを占めているものとして、「苦情対応」がある。野良猫への餌やりや、犬の鳴き声や放し飼い、猫の外飼いなど、内容は多岐にわたる。例えば、犬の鳴き声。「何メートル離れたところから何デシベルであればアウト」みたいな基準があればよいのだが、そんなものはない。法律の中では、「人に迷惑を及ぼさないように努めなければならない」と書かれているのみである。

動物愛護センター職員として一番最初にぶち当たった壁は、そういった法律の壁であった。

行政獣医師として。まずは自分の話。

アフェリエイトなど微塵もわからない自分自身がブログなど書こうと思ったのは、公務員という立場上、言いたくても言えないことや上げたくても上げられない声を、ただただ書きたいと思ったからである。

三か月後、2020年3月末をもって、僕は行政獣医師、つまりは公務員獣医師を辞める。行政獣医師として今感じていることを、ただ残したいのである。

 

まずは自分自身のことを。

京都に生まれ、滋賀で育ち、京都で1年の浪人を経て、大阪の大学に入学した。大阪の大学で8年を過ごし、その後とある自治体の職員として働いている。

幼少期より動物が好きで、小学生時代に「動物のお医者さん」を志し、今に至る。「金儲け主義ではない獣医さんになる」と宣言した小学生は、長い年月を経て、「行政獣医師」という、まさに金儲け主義ではない獣医師となった。

僕の小学生時代は、Jリーグに日本が沸いている、まさにそんな時代であった。父の会社の関係上、一応は浦和レッズのファンということになっていたが、僕自身はスポーツは観るよりやりたい派だった。ところが厄介なことに学校の健康診断で不整脈が見つかり、同級生が皆サッカーを始めていく中、僕はその波に乗ることが出来なかった。

そんな僕が中学校で出会ったのがバレーボールだった。中学時代には県の選抜に選ばれ、春の高校バレーの県予選では決勝まで行き、一応のTVデビューもした(笑)。そして20年経った今でも現役のバレーボーラーを自負している。高校生活、大学生活の思い出のほとんどはこのバレーボールが占めており、大学時代に立ち上げたチームで今も一回り違う大学生たちとともに汗を流している。

本来6年で終わるはずの大学生活を8年も過ごしたのは、4回生後期で配属される研究室で「ちょっと色々あった」からである。今で言うところの、「アカデミックハラスメントアカハラ)」のようなものに遭い、研究室を移ったりとしている間に、いわゆる単位の関係でストレートの卒業が叶わなかったと、まあ言わばそれだけの話である。今となってはそれだけの話なのだが、当時はそれはそれは病んだ。死ぬことばかりを考えていた。しかし、結局のところ死ぬ勇気はなかった。そんな経験から、僕はどんな学生に対しても「社会人に出たら通用しない」とか、そんなことは全く思わないし、学生には学生の悩みがあり痛みがあり考えがあるということを肝に銘じ、学生たちと接している。

もしもこのブログを、かつての僕と同じような境遇にいる学生が読んでくれるとしたら、コメントなりメッセージなりをもらえたら、もしもこんな僕の経験がほんのちょっとでも役に立つなら、何らかの力になりたいと思う。

 

そんな僕が、行政獣医師として某自治体に就職することになった理由はただ一つ、「獣医師免許を持っていれば絶対に受かると聞いたから」。そんな動機で入庁を果たした僕を待ち構えていたのは、なかなか刺激的な日々だった。